KOF'XIII エリザベートチーム ストーリー




 青々とした草原に、さざなみが立つ。
 古き伝統と使命を現代にまで伝えてきた一族の住まいは、今では南仏の自然の中に溶け込み、もはや往時の面影はほとんどない。かろうじて残っている水の嗄れた噴水と焼け焦げた柱石だけが、かつてここで繰り広げられていた絢爛豪華な日々を物語っていた。
 上半身を失った女神像を見上げていたエリザベートは、目を細めて青空を振り仰いだ。
 広大な屋敷と、そこに住む一族のすべてを灰燼に帰した大火から、何年がたったのだろうか――。
 今にして思えば、あの大火自体が、何らかの予兆、あるいは何者かの策謀だったのかもしれない。
 いずれにしろ、あの日を境に、重い使命を受け継ぐ者はただふたりだけになってしまった。
 あの日からふたりは、本当に姉と弟のように暮らしてきた。
 だが、今はその片割れもここにはいない。
「…………」
 在りし日にこの庭で撮影された数枚の写真を手に、黒衣に身を包んだエリザベートは、何時間もその場に立ち尽くしていた。

「……お嬢様」
「判っています。……もう少しだけ」
 背後からかけられた老人の声に、エリザベートは小さくかぶりを振った。
 また吹き寄せてきた風が、エリザベートの顔を隠す黒いベールを揺らした。



      ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 パンツのポケットに手を突っ込んだまま、シェンはテーブルの上のデミタスカップを見つめている。小刻みに揺れている膝頭が、上海から来たこの男の苛立ちを表しているようだった。
 カップに半分ほど残ったエスプレッソを一気に飲み干し、シェンは眉間のシワを深くした。
 あと3秒も持つまい――デュオロンがそう予想してからきっかり3秒後、シェンはかためた拳を振り上げ、テーブルに叩きつけようとした。
「よせ」
 テーブルがまっぷたつになる寸前、ひょいと伸ばされたデュオロンの手がシェンの拳を受け止める。シェンはぎろりとデュオロンを睨みつけたが、結局は何もいわず、舌打ちしてチームメイトの手を振りほどいただけだった。
 芸術家と観光客でにぎわうモンマルトルは、初夏の夕映えにいろどられてまばゆく輝いている。ここではプロムナードに伸びた男たちの影さえも、どこか芸術的に見えた。
 いろいろと後ろ暗いところのあるデュオロンには、自分があまりに場違いなところにいる気がして、苦笑がもれるのを禁じえなかった。
 その小さな笑い声を聞きつけたのか、ふたたびシェンのまなざしがデュオロンを射た。
「……何がおかしいんだよ?」
「いや……俺もおまえも、ここには場違いだなと思っただけだ」
「来たくて来てるわけじゃねェ」
 シェンはデミタスカップの縁を指ではじき、憤然と吐き捨てた。
「――で、こいつはどういう趣向なんだ?」
「何がだ?」
「おい、俺たちはわざわざ呼び出されてこんなトコまで来てるんだぜ?」
「そうだな」
「こっちはふたり、向こうはひとり、だったら向こうが上海まで来るのがスジだろうが。……それをどうして俺たちがフランスくんだりまで来なきゃならねェんだよ?」
「呼ばれたからだろう」
 デュオロンはこともなげに答えた。もちろん、シェンがその答えに満足しないことは判っている。
「あのなあ――」
「……来たようだ」
 デュオロンのひと言に、シェンは不機嫌そうに背後を振り返りった。
「お待たせして申し訳ありません」
 やってきたエリザベートは、慇懃にふたりに頭を下げたが、遅参の理由を口にすることはなかった。
 椅子をがたんと乱暴に鳴らして立ち上がったシェンは、喪服姿で現れたエリザベートを上から下まで見渡し、大仰に肩をすくめた。
「やけに遅いお出ましだな。おまけにずいぶんとおめかししてるじゃねぇか。――パーティーの帰りか?」
 皮肉というには少しばかり毒の効きすぎたシェンの言葉を黙殺し、エリザベートはクラッチバッグから白い封筒を取り出した。
「――招待状は?」
「無論」
「あるぜ」
「なら問題はありません。――大会の初戦当日、試合開始1時間前に会場で会いましょう」
「はァ!?」
 淡々としたエリザベートの言葉に、シェンが眉を吊り上げた。
「――てめェなァ、俺たちはてめェが来いっていうからわざわざ地球を半周してきたんだぜ? それを何だ、人をさんざん待たせておいて、それでオシマイかよ!? ンなハナシなら電話1本ですむだろうが!」
「よせ、シェン」
 エリザベートに食ってかかるシェンをなだめ、デュオロンは立ち上がった。
「――どのみち俺たちの初戦の会場はこのフランスだ。渡欧が少しばかり早まったと思えば腹も立つまい?」
「だからパリ観光でも楽しんでろってか!? おまえだって、こんな街ガラじゃねェっていったばかりだろうがよ、ついさっき?」
「観光が嫌なら蟹でも食いにいったらどうだ?」
「おまえな――」
「冗談だ」
 ふたりのそのやり取りの間に、エリザベートはすでにその場を離れていた。遠ざかるエリザベートの背中が、いつもの気丈な彼女らしくもなく、やけに小さく見える。
 同じくエリザベートを見送っていたシェンが、小さく鼻を鳴らして呟いた。
「……あのお嬢様、アッシュとはどういう関係だ?」
「詳しくは俺も知らん。どうやら親戚か何からしいが……ただ、もっと濃い何かがあるのかもしれん」
「そういうトコを全部伏せた上で手を貸せってのは、ちょいとムシのいいハナシじゃねェか、おい?」
「不満があるなら別のメンバーを捜すか?」
 デュオロンは静かにシェンを見やった。
「……今からおまえを受け入れてくれそうな知人がいるといいが」
「確かに俺ァ、味方より敵が多いけどよ」
 みずからを揶揄するかのように、シェンは唇を吊り上げて笑った。
「……どうせならアッシュの野郎に奢らせてェな」
「何の話だ?」
「蟹だよ。――今度の大会が終わったら、3人で食いにいこうぜ」
“キング・オブ・ファイターズ”――世界各地を転戦する一大格闘大会は夏のさなかに始まる。その結果が出る頃には、すでに世間は秋を迎えているだろう。上海蟹のシーズンには、それでもまだ少し早いかもしれないが、気の早いシェンにはそれでちょうどいいくらいなのかもしれない。
 シェンは気安げにデュオロンの肩に手を回した。
「――んじゃとりあえず、どっかで1杯やろうぜ」
「あてがあるのか?」
「あるわけねえだろ」
「だと思った」
 デュオロンは頭の中にパリの地図を思い描き、ここから一番近いメトロへの道を歩き出した。たとえ不慣れな土地であろうと、その地図を完璧に記憶して行動するのは、暗殺者として生まれ育ってきたデュオロンの生来の癖のようなものといえる。
 冷ややかな影が落ちる地下への階段を下りながら、シェンはデュオロンに尋ねた。
「どこに行く気だよ?」
「13区だ」
 ベトナムや旧インドシナといった東南アジア植民地の宗主国だったこともあってか、フランスはヨーロッパ最大の華人在住国であり、パリの13区には世界屈指の巨大なチャイナタウンが存在する。そこに行けば、ふたりの口に合う酒も料理も選び放題だろう。何より、空気が落ち着ける。
 ふと、シェンが踊り場で足を止め、地上を振り返った。
「……どうした?」
「いや」
 大袈裟にかぶりを振り、シェンは皮肉をたたえた笑みを浮かべた。
「――戦う理由なんてのは、人それぞれだよな」
「いまさらなことをいう」
「ああ、いまさらだ。……他人の都合なんざ知ったこっちゃねえ」
「……行くぞ」
 シェンとともに、デュオロンは地下の闇の中へと姿を沈めた。
 花の都を照らす陽射しのあたたかさより、こごる闇の冷ややかさのほうが、
自分たちには居心地がいいように思われた。



      ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 日没の前後、風が少しだけ強くなった。
 少し前まで、その白い壁面を夕陽の茜色に染めていたサクレ・クール寺院も、今ではほの白い照明に照らし出されている。観光客の姿も、昼間よりは少ないものの、まだ完全にはなくなっていない。
「あの子の気配がします」
 かたわらにひかえる老執事に、エリザベートはいった。
「もうここにはいない。……でも、あの子は確かにここにいた」
「お嬢様」
「心配しないで、爺」
 不安げな老執事に小さく微笑みかけたエリザベートは、ベールつきの黒い帽子を脱いだ。
「わたしは弱気になどなっていません。きょうのあれは……ただ、覚悟を決めていただけです」
「お覚悟を……?」
「あの子があくまでおのれの使命を忘れたというのなら――その時は、そういう覚悟が必要になるということです」
「お嬢様、それはあまりにも……!」
「大丈夫です」
 エリザベートが握り締めた拳から、白い光が針のように細くあふれ出す。夕闇を押しのけて広がるエリザベートの内なる光が、彼女自身の顔をほのかに照らし出した。

「わたしの心に光あるかぎり、かならず……!」



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