KOF'XIII サイコソルジャーチーム ストーリー




 ケンスウは見た。
 見てはならないものを見た気がした。
 しかし、見てしまった以上、口を閉ざしているわけにはいかない。大袈裟ないい方だが、それが自分の使命だと、ケンスウはそう思った。



      ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「――お師匠様が浮気!?」
 ケンスウが突拍子もないことを口にするのを聞いて、麻宮アテナは慌ててパオの耳を両手でふさいだ。他人の浮気の話だとしても、まだ幼いパオにはあまりいい影響をあたえないだろうに、ましてやそれが、パオにとっては親代わりともいうべき師匠の話となれば、おいそれと少年の耳に入れるわけにはいかない。
 アテナは眉間にしわを寄せ、ケンスウを睨んだ。
「ケンスウ、いきなりなんてこといい出すの! お師匠さまが、その――う、浮気してるだなんて――」
「おねえちゃん、何の話してるの? ぜんぜん聞こえなーい!」
「ちょっと、ももちゃん、タッチ」
「ほーい」
 修行の合間の休息のひととき、涼やかな影が落ちた竹林には、アテナたちしかない。くだんの老拳士はどこへ行ったのか、先ほどから姿が見えなかった。
 パオの耳をふさぐ役回りを桃子にバトンタッチしたアテナは、大きな岩の上であぐらをかいていたケンスウに詰め寄り、低い声で問いただした。
「冗談でもいっていいことといけないことがあるわよ、ケンスウ!」
 彼らの師匠チン・ゲンサイには、それこそ数十年の苦楽をともにした糟糠の妻がいる。アテナたちも、実の祖母のように慕っているやさしい人である。そして、しばしばアテナたちが赤面することもあるくらいに、彼らの夫婦仲はいい。何しろチンは、臆面もなく、「世界一の美女といえばウチのばあさんじゃな」というようなことをいうくらいなのである。
 そのチンが、よりにもよって浮気などと、にわかに信じられるはずがない。
「ちゃうて! 冗談やあらへんがな!」
 ケンスウはアテナに身を寄せてそっとささやいた。
「ワイ、見てしもたんや!」
「何をよ?」
「せやから、お師匠さんの浮気の――まあ、現場っちゅうワケやないけど、とにかくそれに近いモンをや!」
「どういうことなの? もう少し詳しく聞かせて」
「せやな……あれはきのうの晩のことやった――」



      ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 夜も更けた頃、ケンスウはこっそり寝床から抜け出した。
 隣の寝台では、パオがく〜すか気持ちよさげに眠っている。少年の眠りが深いことを確認し、そっと部屋をあとにした。
「いたたたた――」
 寺の裏手の冷たい井戸水を汲み上げ、タオルを濡らして頭に載せる。夜になってもずきずきとうずく頭の痛みが、すうっと引いていくような気がした。
「ふーっ……しかしまいるで、ほんま」
 井戸の縁に寄りかかり、ケンスウは嘆息した。
「最近のお師匠さんは厳しすぎるわ。これじゃ大会が始まる前にバテてまうやろ」
 次の“キング・オブ・ファイターズ”を目標に、ケンスウたちはこの古寺で合宿を張っていた。きょうでもう1週間ほどになる。修行には慣れているとはいえ、最近はそれにも熱が入り、生傷やこぶが絶えない日々が続いていた。
「――?」
 ケンスウが月を見上げてぐったりしていると、どこからか人の声が聞こえてきた。
「……今のはお師匠さんの声とちゃうか?」
 ケンスウはタオルを首に引っかけ、声のするほうに向かった。
 満月の光が竹林の中に青い影を落とし、心地よい夜風が細い葉をさわさわと揺らす。そのかすかな風の音に混じって、確かに老人の声がしたような気がした。
「――おっ?」
 竹林の中の開けたところに大きな丸い岩があって、その上にあぐらをかいて座る老人のシルエットがあった。ケンスウたちの師――チン・ゲンサイである。
 酒好きのチンが夜中に寝床を抜け出し、月下独酌と洒落込むのは、そう珍しいことではない。しかし、今宵は少し様子が違った。いつもなら瓢箪の酒をあおっているはずのチンが、瓢箪の代わりに携帯電話を片手に楽しげにおしゃべりをしているのである。
「何や? いったい誰と話しとるんや、お師匠さん?」
 物陰に身をひそめたまま、ケンスウは師匠の声に耳を澄ませた。
「――じゃからな、お嬢ちゃん、そこをどうにか――な? な? ワシの一生のお願いじゃよ!」
「……はぁ?」
「そうじゃのう、もしワシのお願いを聞いてくれるんじゃったら、今度オシャレなかふぇ〜でおいしいモンをご馳走してやるぞい」
「……何やそら?」
 もれ聞こえてくる会話を聞くかぎり、どうもチンの電話の相手はかなり若い女性、それも、一度ならず会ったことのある相手らしい。
 チン・ゲンサイという老人は、中国拳法の達人には違いないのだが、かといって堅苦しいところのない、飄々としたユーモアのある老人である。しかし、だからといって、深夜に女性のところへ電話をかけるような人間でもなかったはずだ。
「まさかお師匠さん――」
 ひとつの可能性に突き当たり、ケンスウは顔色を変えた。
「ちょっ……! マズいで、ホンマ! こりゃあアテナたちに相談せんと!」



      ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「――とまあ、こういうワケなんや」
 ケンスウの説明を聞いても、アテナの眉間に引かれたしわは消えなかった。
「お師匠様が浮気してるって、根拠はそれだけなの?」
「ほんならアテナは、お師匠さんがどこぞのギャルとケータイで楽しげにおしゃべりするまっとうな理由が、ほかに何かあるっちゅうんか?」
「それは――」
「はいはーい! ももちゃんいいこと考えましたー!」
 ケンスウとアテナが渋い表情で額を突き合わせているところへ、桃子が元気よく手を挙げて割り込んできた。
「お師匠さんのケータイチェックすればいいと思いまーす!」
「そらまあ、確かにそれが一番手っ取り早いねんけど――」
「あ、あのね、ももちゃん、お師匠様にもプライバシーってものが……って、あら? パオくんはどうしたの、ももちゃん?」
「あー、忘れてた」
 悪びれずに笑う桃子。さっきまで桃子に耳をふさがれていたはずのパオの姿が、いつの間にか消えていた。
「パオくんは?」
「あそこにいるー」
「え?」
 桃子の指差す方向をケンスウとアテナが見やると、向こうから歩いてくる老人に、パオが何ごとか尋ねているところだった。
「あ! お、お師匠様!?」
「ちょ、パオ!? おまっ――お師匠さんに何話しとんねん!?」
 ふたりが何を話しているのか、サイコソルジャーであるケンスウたちにも判らない。しかし、チンとパオがふたり揃ってこちらを見やったことから察するに、ケンスウたちのことを話しているのは間違いなかった。
「――うおっほん」
 パオから何を聞かされたのか、チンは芝居がかった咳払いをすると、腰の後ろで手を組み、ケンスウたちのほうへとやってきた。
「何じゃ、ケンスウ、おぬし、ワシの交友関係に興味があるらしいのう?」
「きょ、興味というか――」
「うん? ワシのケータイをチェックしたいと?」
「そ、それはその――」
「まさかおぬし、ワシが浮気しとるなどと考えとるんじゃあるまいな?」
「とっ、とんでもない! まさかそないなこと考えるはずあれしまへんがな! ワイ、お師匠さんのこと信じてますよって!」
 慌てて否定するケンスウの横顔に、アテナと桃子の視線が音もなく突き刺さる。じくじくと噴き出す脂汗をぬぐうこともできず、ケンスウはしどろもどろになりながらも、懸命に反撃に転じようとした。
「――せっ、せやけどあれですやん! おっ、お師匠さんが電話でどこぞの女の子とおしゃべりしとったんはホンマでっしゃろ!? 弟子に隠しごとなんて水臭いですやん!」
「別に隠れて電話しとったワケではないぞ? 単におぬしらの安眠を妨げんように気を遣っただけじゃ」
「だ、誰なんです、相手は?」
「それはヒミツじゃ。ワシのが〜るふれんど、とだけいっておこうかい」
「ガールフレンド!?」
「うむ」
 白い髭を撫でつつ、チンはにんまりと笑った。
「――ま、どうしてもと知りたいというなら、教えてやってもいいんじゃが」
「ほ、ホンマでっか?」
「ホンマもホンマじゃ。ただし、組み手でワシをまいったといわせることができたら、じゃがな。……何ならおぬしに紹介してやってもよいぞ?」
「おっしゃ! ほんなら今すぐ始めようやないですか! さっきの言葉、忘れんとってくださいよ?」
「ほっほっほ」
 ケンスウは頬をはたいて気合を入れ直すと、チンとともに滝のほうへ向かった。足腰の鍛錬も兼ねて、組み手はいつも滝壺のそばの浅瀬でやることが多いのである。
 鼻息も荒く大股で歩いていくケンスウと、鼻歌混じりにスキップしていくチン、それにわけも判らず大はしゃぎでついていくパオを見送ったアテナは、桃子を見下ろして首をかしげた。
「……ももちゃん、今の話どう思う?」
「さあ? ケンスウにいちゃんがうまくお師匠さんに乗せられたようにしか見えないけど。……ほ〜んと、単純なんだよねー」
 どこからか取り出した肉まんをもぐもぐ食べながら、桃子は呑気に笑った。
「っていうことは、本当はお師匠様のガールフレンドの話はケンスウをその気にさせるための方便なのかしら?」
「案外、ホントに浮気してたりして〜」
「ももちゃん!!」
「いやん♪ 冗談だってば」
「ほら、わたしたちも行くわよ!」
 師匠たちを追いかけて走り出すアテナと桃子。

 チンが語った“が〜るふれんど”の存在が事実だったと彼女たちが知るのは、今度のKOFが開催される直前のことだった。



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