KOF'XIII 八神チーム ストーリー




 このところの暑気を考えれば、その夜は決して暑くはなく、ときおり強い風が吹くこともあって、むしろすごしやすいとさえいえた。
 にもかかわらず、神楽ちづるが目を醒ましたのは、やはり暑さのせいというより、虫の知らせというものだったのかもしれない。
「――――」
 庭に面した障子を透かして射し込む満月の光が、部屋の中を青く静かに照らし出している。
 その障子に細長い影が映り込んでいることに気づいた瞬間、ちづるの意識は完全に覚醒した。
「! 誰!?」
 ひそめた声でそう誰何してから、ちづるはすぐに自分の未熟を悟った。こうしてはっきりとその影を見据えるまでもなく、気配を探れば、庭先に音もなく現れた訪問者の正体などすぐに判る。
 ちづるが恥じたおのれの未熟を、影もまた察したらしい。
「……腑抜けたな、神楽」
 低い冷笑が飛んできた。
「あなたこそ――」
 白い襦袢の胸もとを深くかき合わせ、ちづるは布団の上に身を起こした。
「あなたのほうこそ、炎を失ったままなのでしょう?」
「それがどうかしたか?」
 その傲慢な返答に、ちづるは返す言葉がなかった。
 紫の炎を失ってもなお、彼の強さは色褪せていない。ちづるの身辺警護のためにこの屋敷に詰めているボディガードたちを、ことごとく叩き伏せてここまでやってきたことを思えば、それは疑いようのない真実だった。
“鏡の力”を失い、覇気すらも失いかけていた自分とは大違いだと、ちづるは唇を噛み締めた。
「貴様の力が戻っているかと思って様子を見にきたが……やはりあの小僧を始末する必要があるようだな」
 男がきびすを返す気配に、ちづるは慌てて手を伸ばした。
「待ちなさい、八神! これは、あなたにとっては大きなチャンスかもしれないのよ!?」
「……何がだ?」
「あなたの使う八神の炎は、この660年の間に、オロチの力と分かちがたいほどに混じり合ってしまっているわ。でも、あなたが“勾玉”の力と炎を失った今なら――今なら八神家が、オロチの呪縛から逃れることもできるかもしれないのよ?」
「くだらん」
男はちづるの訴えを一笑に付した。
「……俺は俺だ。八神家のことなど知らんな」
「八神――」
 なおも男を呼び止めようとして、ちづるは自分がいかに不条理なことを口にしているか、いまさらのように自覚した。
 八神家の炎、“八尺瓊の勾玉”の力――それがオロチの血と不可分なものだとするなら、彼がオロチと決別するには、おのれの炎を永遠に捨てなければならない。
 だが、同時にそれは、オロチを封じる“三種の神器”の一角が、永遠に失われるということでもある。
 そのジレンマに、ちづるは青ざめた。
「安心しろ。じきに貴様の“鏡”ももとに戻る」
 押し黙ってしまったちづるに、男が去りぎわに声をかけた。
「……もっとも、次に失われるのは“剣”だがな」
「やめなさい、八神!」
 ちづるは布団を出て障子をからりと引き開けた。
 だが、そこには青い月に照らされた静かな庭があるばかりで、赤毛の男の姿はもはやどこにもなかった。



      ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 真下の幹線道路を大型のトラックが通りすぎるたびに、歩道橋全体が細かく震えていた。
 風雨にさらされ続け、あちこち塗装が剥げて錆の浮いた歩道橋は、何か巨大な動物の無惨な死骸のようにも見える。
 その背骨をゆっくりと登っていた八神庵は、ふと足を止め、今宵の月を見上げた。
「…………」
 右手の指先にはさまれたタバコがほとんど灰に変わった頃、庵が唐突にいい放った。
「……亡者ごときがいまさら何の用だ?」
 天から地へと落ちた冷徹なまなざしが、歩道橋の端のほうに凝り固まっているかぐろい影を見据えた。
「俺に恨み言をいいに現れたか? それとも、もう一度殺してくれとでもほざくつもりか?」
 庵のその言葉に、闇が応じた。
「ご挨拶ね、八神……久しぶりに会ったっていうのに」
「もう一度空をご覧よ。……前にいっただろう? 満月の夜にまた会おうってさぁ」
「――――」
 ひどくなまめかしい女たちの声に、庵は眉ひとつ動かさなかった。
 庵の視線を受けて、影が身悶えしていた。静かに、しかし確実に、影は次第にはっきりとした形を取り始めている。
 そして、ついに2次元の世界から3次元の世界へと立ち上がった時、影は美しい女たちの姿を手に入れていた。
 タバコの吸い殻を投げ捨て、庵は目を細めて呟いた。
「……何の未練があって現れた?」
「未練? そんなものありゃしないよ」
 赤毛のバイスは大きく身体をねじり、伸びをしながら答えた。黒いパンツルックに包まれた肢体がくねる姿は、まるで獲物を狙う蛇を思わせる。
「――もともと出てくるつもりなんてなかったんだ」
「なら、なぜここにいる?」
「さあ、なぜかしらね。……もしかすると、あなたたちが存外に不甲斐ないからじゃない?」
 澄まし顔で答えた金髪のマチュアは、右目にかけた眼帯を押さえ、赤く濡れ光る唇を吊り上げた。
「……何がいいたい?」
「神楽に続いて八神……あなたまでしてやられたそうじゃない? あの、アッシュ・クリムゾンとかいうぼうやに」
「おまけに、妙な連中がオロチの力を狙ってるんだろ? “遥けしかの地より出づる者”とかいう連中がさぁ」
「……知らんな。興味はない」
「そりゃああんたはそういうだろうさ。自分自身のことにだって興味はないんだろうからねえ」
「けど、わたしたちにとってはそうもいかないのよ」
「オロチの力をむざむざ横取りされちゃあ業腹だろう?」
「だからわたしたちが来たのよ」
 闇を背負って、女たちの3つの瞳が妖しく輝いている。マチュアもバイスも、庵がその手で命を絶ったはずの女だった。
 パンツのポケットに手を突っ込み、庵は唇をゆがめた。
「神楽の尻拭いとはわざわざご苦労なことだ。……だが、貴様らにいったい何ができる?」
「さあてねぇ。――だけど、おたがいに何がしかの利用価値くらいはあるはずだよ。そうだろう?」
「あなたの狙いはあのぼうや、わたしたちはあの連中……どちらも大会を勝ち抜いていけば、いずれ突き当たる相手よ」
「……毎度のことながら、くだらん茶番だな」
「確かにね。だけど、その茶番につき合うのが、結局は一番の近道なんだよ。そしてそのためには、形だけとはいえ、チームメイトが必要なのさ。お判りかい、八神クン?」
「ふん――」
 庵は興味なさげに鼻を鳴らし、歩き出した。マチュアたちのかたわらを通りすぎ、歩道橋を下っていく。
 足を止めることなく、庵は背中越しにつけ足した。
「あらかじめいっておく。もし俺の役に立たんようなら――」
「貴様らに用はない、だろ? ……覚えてるよ」
 バイスの含み笑いが降ってきた。
「わたしたちも楽しみにしてるのよ。炎を失った今のあなたの強さをね。――あなたのことだから、わたしたちを失望させたりはしないでしょうけど」
「……口が達者なのは死んでも変わらんようだな」
 歩道橋を降りたところで立ち止まり、振り返る。
 庵を見下ろしているはずの女たちの姿はすでにどこにもなく、前髪越しの庵の視線の彼方には、冴えざえとした青い月が静かに輝いているだけだった。
「…………」
 庵はあらたにタバコを取り出し、よく使い込まれたライターで火をつけた。

 闇の中で、あの女たちの眼光を思わせる赤い光が明滅し、細い煙が満月の待つ夜空へと立ち昇っていった。



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