KOF’XII アッシュ ストーリー




 嘲笑う火影――Ash Crimson



 少年には何もない。

 これまで何もなかったし、この先もおそらく何もないのだろう。
 周囲の人間から見て彼に備わっていると思えるものは、たいていの場合、彼にとっては彼のものではない。
 少なくとも、少年自身はそう思っている。
 夢も希望も情熱もなく、すべてを見透かしたように嘲笑う冷ややかさがわずかにあるばかりの少年は、アッシュ・クリムゾンという名で呼ばれている。
 その名前すら、少年にとっては自分のものではなかった。気づいたらそう呼ばれていただけで、彼自身がそう名乗ろうと思ってつけた名前ではないからである。
 さりとて、ならばどう呼ばれたいか、何と名乗りたいのかと逆に尋ねられたとしても、少年アッシュはその答えを持っていない。彼にとっては自分の呼び名さえも瑣末なことでしかなく――。


 ――と、そんなことを勝手に想像していたデュオロンは、おそらくそれが見当はずれな考えに違いないと悟ってかぶりを振った。
 少年はつねに不可解だ。それだけは間違いない。



 少年はつねに神出鬼没だ。
 振り返ってみれば、初めて出会った時も、ふと気づくと自分のすぐそばにいた。
 徒党を組むことなく、ただひとりで世界中を渡り歩き、一族を裏切ったあの男を捜し求めていたデュオロンのすぐそばに、いつの間にかあの少年は、そこにいることが当然だという顔をして入り込んでいた。ある意味では傍若無人であり、身勝手である。
 ただ、不思議とそれを周りに認めさせてしまう何かがあった。

「何がおかしい?」

 向かいの席で酒を飲んでいたシェンが、デュオロンの口もとに浮かんだ薄い笑みに気づいて目を細めた。すでにかたわらには子供の頭ほどの大きさのある老酒の甕がふたつ、空になって転がっていたが、シェンの表情に酔いの気配は微塵もない。

「いや――遅いなと思っただけだ」

「アッシュか。てめェのほうから呼び出しかけたくせに、何してやがんだあの小僧は?」

 そう毒づきながら、シェンは屋台の親父が饗する上海蟹にかじりついた。
 シェンにしたところで、本来は他人とつるむような男ではない。それがまがりなりにもこうしてデュオロンといっしょに酒を酌み交わしているのは、ふたりの間にアッシュという奇妙な触媒があればこそだった。
 デュオロンは、アッシュとシェンの出会いを詳しくは知らない。尋ねてもふたりがそれを口にすることはないだろう。ただ、おそらく自分の時とそう大差はないはずだと思っている。気づくとあの少年はシェンのそばに自分の居場所を確保し、さもそれが当たり前のことのように、呑気に甘いものを食べたり爪をいじったりしていた――たぶんそんなところだろう。
 アッシュはしばしばふたりに対して非常に馴れ馴れしい態度を取ることがあったが、かといって、アッシュがデュオロンたちに気を許しているかといえばそうではない。デュオロンもシェンも、それは同様だった。
 要するに、アッシュもシェンもデュオロンも、つまるところ一匹狼なのである。誰かに頼ることも頼られることも好まない。そんな3人が、偶然この上海の雑踏の中で出会った。
 単なる顔見知りよりは少しだけ踏み込んだ、しかし、友人という言葉から連想されるほどウェットでもない――自分たちはそんな微妙な距離感のある関係なのだと、デュオロンは考えている。



 縁の欠けた安物のショットグラスを傾け、30年物の老酒を1杯、デュオロンがゆっくりと飲む間に、シェンは甕を3つも空にしていた。
 肝心のアッシュはまだ現れない。すでに時刻は夜の8時を回っていたが、上海の裏通りには雑多な活気がますます満ちてくるかのようだった。
 デュオロンは数枚の紙幣をテーブルに置いて立ち上がった。

「どうした? 帰るのか?」

「あぁ」

 黒衣の長い裾をさばき、軽くうなずく。人里離れた土地で暮らしてきたせいか、デュオロンは人混みがあまり好きではなかった。

「――どのみちアッシュは今夜は現れまい。奴が7時といったのは今夜ではなく、あすの朝のことだったのだろう。おそらくは」

「あァ?ンなことねえよ、オレぁ確かにきょうの夜、7時にこのへんでって聞いたぜ?」

「おまえがあの天邪鬼の言葉をそこまで信用しているとは意外だな」

「あいつがわざと間違った時間を教えたってか?」

「十二分にありえる話だ。アッシュならば」

「へっ」

 またひとつ、甕で老酒を注文し、シェンは野性味のある笑みを浮かべた。

「かまわねェさ。どのみちきょうはこのへんで朝まで飲み明かすつもりでいたんだ」

「せいぜい二日酔いには気をつけることだ」

 明朝7時、またこの場所で会おうといい置いて、デュオロンは歩き出した。P>

 いつだったか、デュオロンはアッシュに尋ねたことがある。

「アッシュ。おまえは何をしようとしている?何のために闘っている?」

 その問いにアッシュは答えなかった。
 代わりに空を振り仰いで、

「自由っていいよネ」

「ハァ?自分勝手に好き放題してる小僧が何いってんだ?おまえはいつだって自由だろうが」

「アハハハハ♪シェンほどじゃあないけどネ」

 青い空の下で笑うそばかすの少年の胸中を推し量ろうとして――。
 デュオロンは、それがいかに無駄な行為であるかをすぐに思い出し、苦笑混じりにかぶりを振った。
 それなりに人を見る目はあるつもりのデュオロンだったが、その彼にも、アッシュ・クリムゾンという少年は理解しがたい存在だった。
 おそらく、誰にも理解できない少年なのだろう。



 少年の真意を読み取ることは難しいが、今回にかぎってはデュオロンの読みが当たっていた。
 翌朝7時、こめかみを押さえて顔をしかめているシェンとともに、デュオロンが朝日の射し込まない路地裏で静かに立ち尽くしていると、ご機嫌な鼻歌とともに少年が現れた。

「ボンジュール、おふたりさん。早いじゃない」

「このクソガキ‥‥マジで朝の7時だったのかよ‥‥!」

「え?ひょっとしてゆうべの7時から待ってたの?」

 そばかすだらけの顔を悪戯っぽい笑みに崩し、アッシュは肩をすくめた。

「ん〜‥‥きっと電話の調子が悪かったんだネ」

「てめえなあ……」

 シェンはアッシュに毒づく代わりに缶ビールをひと息にあおった。

「あれ?迎え酒?」

「飲まなきゃやってられねえよ。さんざん人を待たせやがった上に、てめえ、余計なオマケまで引き連れてきやがって」

 シェンのぼやきを聞くまでもなく、デュオロンもまた、それに気づいていた。
 いつの間にか、3人の周囲を胡散臭い男たちが取り囲んでいる。単なる通りすがりではあるまい。みな一様に殺気をただよわせ、中にははやばやとナイフを抜いている奴もいる。
 そんな物騒な空気を敏感に察したのか、路地は冷たい沈黙に凍りつき、誰も建物の中から出てこようとはしない。

「‥‥俺は関係ない」

 デュオロンは雑居ビルの壁に寄りかかり、腕を組んだ。

「ボクも知らないよ。どこかのヤクザさんみたいだし、おおかたシェンの知り合いじゃないの?」

 男たちは明らかにアッシュのあとをつけてきていたが、当のアッシュはまるで他人ごとのように笑っている。

「――ホラ、この前シェンってば、港のほうでハデにケンカしたじゃない?あの仕返しなんじゃないかな」

「てめェがいうか?確かに暴れたには暴れたがよ、ありゃあ真っ先に手を出したのはてめェだろ?オレは巻き込まれただけだぜ」

「アレ?そうだったっけ――」

 アッシュのとぼけた言葉が終わらないうちに、男たちがいっせいに襲いかかってきた。アッシュはもちろん、シェンもデュオロンも標的の中に数えられているらしい。

「‥‥ットによぉ、てめェといると退屈しねえで嬉しいぜ、アッシュ!」

「俺は関係ない‥‥といっても無駄なようだな」

 真っ先に突っかかってきた男をカウンターの掌底であっさり昏倒させたデュオロンは、そのまま壁を蹴ってビルの屋上へと逃れた。とにかく闘うことが好きだというシェンとは違って、デュオロンは無駄な争いは好まない。
 それに、あの程度のチンピラたちが相手なら、シェンかアッシュのどちらかひとりがいれば充分だろう。
 ビルの屋上の、錆びた手摺の上に危なげなく立ったデュオロンは、眼下の路地裏で繰り広げられる一方的な戦いをじっと見つめた。
 薄闇の中に、あざやかな緑色の炎が火の粉を散らして舞い踊る。
 敵の弱さを嘲弄するかのように、口もとに冷ややかな笑みを張りつかせて、アッシュは男たちを次々に薙ぎ払っていった。


 奔放で無慈悲な異形の炎――。


 あの緑の炎と真正面から対峙する日がいつかやってくるのではないかと、デュオロンは漠然とそんなことを考えた。



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