KOF’XII デュオロン ストーリー




 静かなる暗殺者――Duolon



 雨が近いのか、今夜の夜風は重く湿っている。
 そのぬるい風にまぎれ、影はバルコニーに降り立った。
 影はデュオロンという名で呼ばれている。生業は暗殺者――今夜ここに来たのも、無論“仕事”のためである。
 この豪邸には、一代で莫大な財をなした、さる老富豪が住んでいる。デュオロンの今夜の標的はその老爺だった。
 一代で今の地位を築き上げるまでには、おそらく多くの人間の恨みを買ってきたことだろう。だが、それはデュオロンの知るところではない。
 また、老人が老い先短いのを承知の上で、それでもなお暗殺という手段を選んだ依頼人の事情と心境がどのようなものなのか、それもデュオロンの知るところではないし、ことさら興味もない。むしろそれを知ろうとすること自体、彼らにとっては大きなタブーであった。依頼人の事情に深く踏み込みすぎる暗殺者は、いずれみずからが命を狙われる立場に立たされかねないからである。だからこの日も、デュオロンはターゲットの経歴さえろくに知ろうとはしなかった。
 ターゲットの名前と住まい、それに生活サイクルと顔――それだけを心に留めて、デュオロンはつねに淡々と仕事をこなす。
 だが、そんなデュオロンが、いぶかしげに眉をひそめた。
 夜風に混じって、甘ったるいインセンスの香りがただよってくる。覚えのあるその香りに、デュオロンは足音を消して窓に近づいた。
 窓が細く開いていた。その香りは、屋内からもれ出てくる空気に染みついているのだった。

「‥‥‥‥」

 静かに屋内に忍び込んだデュオロンは、軽いめまいに襲われ、すぐに口もとにハンカチを押し当てた。
 デュオロンは頭の中にこの屋敷の詳細な見取り図を広げ、老人の寝室に向かった。途中、ここではたらく使用人たちの姿を見かけたが、いずれも床の上にだらしなく寝そべり、あるいはへたり込み、規則正しい寝息を立てている。おそらくこの香に含まれる催眠成分のせいだろう。
 ――デュオロンがそう確信できたのは、同じ香を飛賊の隠れ里でも作っていたからである。  あまり嬉しくない予感を胸に寝室に足を踏み入れたデュオロンは、ベッドの脇の床の上に、ちょうど人の形に残った焦げ目を見た。
 老人は、ここで、骨も残さず完全に焼き尽くされたのだと、デュオロンはそう察した。
 人知れず屋敷を出たデュオロンは、すぐに依頼人に連絡を入れた。



 雨が降り始めていた。
 その街のチャイナタウンに足を運んだデュオロンは、あちこちから中国人が集まってくる場末の中華料理店のドアを押し開けた。
 店内にいた客たちの視線が一瞬だけデュオロンに集中し、すぐに散る。視界をさえぎるほど立ちこめるタバコの煙にわずかに眉をひそめ、デュオロンは誰にいうともなく尋ねた。

「‥‥足癖の悪い気の強そうな女を知らないか?」

 誰もその問いに答える者はいない。代わりに、客たちの視線がふたたび一点に集中した。
 客たちの視線の動きにつられて肩越しに背後を一瞥したデュオロンは、口もとに小さな苦笑を浮かべて客たちにいった。

「‥‥邪魔したな。尋ね人は見つかったようだ」

「思いもかけず珍しい顔と出くわしたね」

 毛皮のコートに赤いチャイナドレスのびしょ濡れの女は、デュオロンを見据えて艶めく唇をゆがめた。

「――わたしに何か用かい、デュオロン?」

「やはりおまえだったか、ラン」



 飛賊――。
 中国の長い歴史の影に生きてきた、伝説の暗殺者たち。
 ランは、その飛賊の中でも最強といわれる四天王の筆頭であり、デュオロンにとっては幼馴染みでもあった。今でもデュオロンのほうではそう思っているが、しかし、ランのほうでもそう考えているかどうかは判らない。
 なぜなら今のデュオロンは、ランにとっては、自分の母や祖母を殺した憎い仇の息子だからである。

 降り続ける雨の中を、毛皮が濡れるのも意に介さずに歩いていこうとする奔放な女に、デュオロンはそっと傘を差しかけた。
 人気のない倉庫街の向こうには港がある。ここの空気には潮の香りが混じっていたが、今のデュオロンがより強く感じているのは、ランの身体から放たれる芳香――あの屋敷でも感じた、催眠成分を含んだ香の残り香だった。

「‥‥あれはおまえの“仕事”だったんだな」

「何の話?」

「あれだ」

 デュオロンは丘の上のほうを振り仰いだ。この距離ではさすがに見えないが、デュオロンが1時間ほど前までいた屋敷は、あの丘の上に建っている。
 デュオロンがいわんとしていることを察したランは、妖しい輝きを帯びた瞳を細めて笑った。

「‥‥まさかあんたも誰かから同じ“仕事”を依頼されたの?」

「どうやらそうらしい」

「ま、あちこちで恨み買ってそうなジイサンだったしねえ」

「‥‥おかげで俺は“仕事”に失敗した」

「は?どうしてよ?ちゃんとあのジイサンはわたしが始末したじゃない?」

「“仕事”をやりとげたのはおまえであって俺ではないということだ。それに便乗して報酬だけもらう気にはなれん」

「あんた‥‥そういうところは相変わらずなのね」

 ランはデュオロンの胸を軽く小突いた。

「――で?」

「で、とは?」

「あんたそんな恨み言をいうためにわたしを捜してたの?」

「おまえがこの街にいるのなら、少し話しておきたいことがあった」

「へえ、偶然ね。わたしもいろいろと話があるんだけど」

「聞こうか」

「リンたちと連絡が取れなくなったわ」

 重い話を、ランはさらりと口にした。



 かつての飛賊四天王のひとりであり、一族の長でもあった最強の飛賊ロンが、ある夜、突如豹変して一族の者を虐殺し、里に火を放って逐電した。
 生き残った飛賊たちのほとんどが、今、裏切り者としてロンを追っていた。もちろんデュオロンやランも、“仕事”のために世界各地を渡り歩きながら、杳として行方の知れないロンの手がかりを捜し続けている。
 そして、その裏切り者ロンこそが、ほかならぬデュオロンの実の父親であった。デュオロンは一夜にして、飛賊の長の息子、若さまと呼ばれる立場から一転し、裏切り者の息子となってしまったのである。

「――リンだけじゃない、サイやチャトとも連絡がつかないの。何かあったのかもしれないわ」

 古い倉庫の軒先で、デュオロンと並んで雨宿りをしながらランが呟いた。リン、サイ、チャトはいずれもランと同格の四天王であり、その実力は決して先代たちにおとるものではない。その3人がことごとく消息を断ったというのは、尋常ならざる事態が起こったと考えるべきだろう。

「‥‥実は、俺のほうでも兄たちの消息が掴めなくなった。ロンに返り討ちにされたのかもしれない」

 自分の父親をロンと呼び捨てにすることにも慣れた。実の父を一族の裏切り者として追跡し続ける日々が、デュオロンからそうした平衡感覚を消失させつつあるのかもしれない。

「おまえも気をつけろ、ラン」

「‥‥誰にいってるんだい、ぼうや?」

 毛皮のコートのポケットに両手を突っ込んだまま、ランは軒先を離れて雨の中に泳ぎ出た。

「‥‥わたしは殺すよ」

 ランはデュオロンを振り返り、低い声でいった。そう断言した女の身体から、うっすらと陽炎が立ち昇っている。

「たとえ先代の長でも、たとえあんたの親父だとしても、わたしはロンを殺してみせるよ。わたしにとっては母さまと婆さまの仇なんだし、どうせおまえにはロンは殺せないだろうしねえ」

「‥‥持っていけ」

 ランの言葉に、デュオロンはただそれだけを口にして、たたんでたずさえていた傘をランに向かって放った。
 その刹那、ランの白い脚が閃き、その軌跡が真紅に燃え上がった。

「‥‥人の心配より自分の心配をしなよ、ぼうや」

 炎にいろどられた脚線美で黒い傘を一瞬のうちに焼き尽くし、ランは幼馴染みの青年に背を向けた。自在に炎をあやつる美貌の殺し屋――確かに彼女にかかれば、周囲の調度にはほとんど被害をおよ及ぼすことなく、老人ひとりを骨も残さず焼き尽くすくらいは朝飯前だろう。

「‥‥以前、ロンが俺にいった」

 ランの肩越しのまなざしを受け止め、それでもなお顔色ひとつ変えることなく、デュオロンはいった。

「心に期する思いがあるのなら、軽々しく口にはするな」

「――――」

 ランの眼光がさらに鋭さを増す。

「秘すべき思いをあえて口にするのは、胸中に不安をかかえているのを吐露するも同然だと」

「‥‥なら、せいぜいあんたは、父親の言葉を馬鹿正直に守ればいいさ。わたしにはわたしのやり方があるのよ」

「‥‥そうだな」


 ランを見送ったあとも、デュオロンは倉庫の軒先で雨音を聞き続けていた。
 今の自分に、果たしてロンを――父を倒すことができるのか。それ以前に、ロンにめぐり遭うことができるのか。
 単調で絶え間ない雨音は、人に無為な時間をすごさせる。
 かぶりを振って後ろ向きな思いを打ち払ったデュオロンは、あたりの闇に静かに溶け込み、何の痕跡も残すことなくその場から消えた。


 歴史の闇に生き、人の影に住まうもの――飛賊という生き方以外、デュオロンには選びようもなかった。
 そしてそのためには、実の父を殺さねばならないのである。



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