KOF’XII シェン・ウー ストーリー




 上海の武神――Shen Woo



 少女と目が合った。
 名前は知らない。年は5、6歳ほどか。祖父を手伝ってこの小さな食堂ではたらいている、愛想のない少女である。

 シェンと目が合った少女は、空になった食器をかかえたまま、じっと立ち尽くしていた。特に意味があってシェンに見入っていたわけではなく、忙しい仕事の合間にふと目が合って、何となく目を逸らすタイミングを失ってしまった――そんなところだろう。
 その時、シェンは唐突に眉を吊り上げ歯を剥き、少女を睨みつけるかのように笑った。

「ひっ‥‥!」  この上海では武神と呼ばれ、ヤクザたちも避けて通るシェンである。屈強な男たちすら震え上がらせる獰猛な獣のごとき笑みに、幼い少女が怯えるのは当たり前だった。

「誰も取って食ったりしねえよ」

 少女が老人のもとに逃げ帰ったのを見て、シェンはおかしそうに笑った。

「――相変わらずマズいな。こんな店じゃオレくらいしか客が来ねえだろう。釣りはいらねえから取っときな」

 口ではそんなことをいいながら、麺が入っていたはずの丼は綺麗になっているし、律儀に金も払っていく。シェンがこの店を存外に気に入っている証拠だった。それが判っているからか、無口な老店主も、シェンに愛想笑いをひとつくれただけで何もいわない。

「じゃあな。潰れてなけりゃまた来るぜ」

 老人の腰にしがみついた少女の冷ややかな視線に見送られ、シェンは店を出た。
 蘇州河に面したこの界隈は、昨今の再開発計画とも無縁の、どこか時間の流れから取り残されたようなうらさびしげな場所ではあったが、なぜかシェンには、このあたりのそうした風景が好ましく思えた。
 文句をいいながらもこの店に通い続ける理由は、そんなところにもあるのかもしれない。



 地下鉄が走り去り、乗客たちがあらかた姿を消したホームに、男がひとり――いや、ふたり。

「この街じゃしばらく見なかったが‥‥観光旅行にでも行ってたのか?」

 ベンチにだらしなく腰を降ろし、無言で缶ビールをあおっていたシェンが、ホームの端の暗がりのほうを見やって口を開いた。

「まあそんなところだ」

 闇の中からじわりと染み出てきた影が、細身の男のシルエットになる。
 空になった缶を握り潰し、シェンは笑った。

「テキトーなこというなよ」

「そうでもない。俺にとってはまだまだ外の世界は珍しいことが多いからな」

 闇から現れたデュオロンは、小さく笑ってシェンに歩み寄った。

「‥‥ところで、アッシュがどこに行ったか知らないか?」

 シェンは肩をすくめ、握り潰した缶をくずかごに放り込んだ。

「いちいちオレに聞くなよ。オレはあいつの保護者じゃねえんだ」

「知らないならいい」

 寒々としたホームには無機質な明かりが白と黒のくっきりとした陰影を描き出し、それがデュオロンの影の濃さをなおさらに際だたせていた。

「少し聞きたいことがあっただけだ」

「ふん」

 伝説の暗殺者集団「飛賊」の生き残りであるデュオロンは、一族を裏切った男を追いかけて世界中をさまよっている――というくらいのことは、シェンも聞いている。デュオロンがシェンたちの知らないところであれこれ動いているのは、その手がかりを追う意味もあるのだろう。
 が、差し当たってそれはシェンには関係ない。特に興味もないし、根ほり葉ほり聞こうとも思わない。

「――あいつのことだ、ふらっと消えたと思ったらまたふらっと現れるだろ。ヘタにウロウロ捜すより、ここで待ってたほうがいいんじゃねェか?」

「かもしれんな」

 シェンとデュオロンは連れ立って地上へと出た。
 今夜の上海の空には月も星もなかった。天に向かってそびえる上海タワーに南浦大橋、あるいは数々の高層ビル――発展いちじるしい地上をいろどる人工の光が強すぎるせいかもしれない。

「‥‥どこへ行く?」

「オレか?とりあえずはメシと酒だな」

「基本的な欲求に忠実な男だな」

「ホメても何も出ねェぜ」

「別に褒めてはいない」

「そうかよ」

 皮のパンツのポケットに手を突っ込み、シェンは小さく吐き捨てて、蘇州河沿いの道を歩き出した。



 いつもの“まずい”店までやってきたシェンは、前の通りに停まっている趣味の悪いクルマに気づいて目を細めた。いつもなら、この深夜帯でも営業しているはずなのに、きょうはなぜかもうシャッターが降りている。

「‥‥何だよ?きょうはもうおしまいか?」

 不機嫌そうにシェンがぼやくと、シャッターの前にしゃがみ込んでタバコを吸っていたチンピラ風の若い男が、あからさまに威圧的な態度でシェンに近づいてきた。

「邪魔だよ、オッサン!怪我したくなきゃさっさと消えな!」

「誰に向かっていってんだ?」

 武神の顔を知らなかったのが男の不運だったというほかはない。不機嫌そうに眉をひそめたシェンは、無造作に男のシャツの襟を掴んで引き寄せ、そのままのいきおいで男の顔の真ん中に頭突きを食らわせた。

「ぶ――」

 サングラスと鼻骨を同時に砕かれた男は、くぐもった呻きと鼻血をもらしてその場に崩れ落ちた。

「‥‥‥‥」

 動かなくなった男をまたぎ越し、シェンは店の裏手に通じる細い路地へと進んだ。いつもならうまそうな匂いを吐き出している換気扇も、今はぴくりとも動いていない。
 シェンは静かに勝手口を開け、店の中に入り込んだ。



 蛍光灯の切れかかった店内には、老人の孫娘と、シェンには見覚えのない若い男たちが数人、安っぽいテーブルを囲むように座っていた。
 もっとも、それが平和的な光景ではないということは一見してすぐに判る。なぜなら、愛想のない少女は猿ぐつわを噛まされ、その頬にナイフを突きつけられていたのである。

「早くしろよ、ジジイ!」

 押し殺した声で男のひとりがせっついた。
 顔を青ざめさせた老人は、かくかくと壊れたおもちゃのようにうなずきながら、カウンターの奥から小さな手金庫をかかえてきた。

「――へえ」

 一見してこの状況をほぼ察し、シェンは薄く笑った。

「小僧どもがこづかい稼ぎにケチな真似をしやがるぜ」

「だっ、誰だ!?」

 シェンのあざけりの声を聞き、男たちが色めき立つ。

「‥‥確かに、ここのジジイは小金を貯めていそうだがよ」

 暗がりからちらつく明かりの下へ姿を現したシェンを見て、男たちが目を見開いた。

「てめっ‥‥!?シェン――」

「うるせえ。呼び捨てにするんじゃねえよ」

 シェンはカウンターの上に置かれていたビールの空き瓶を掴むと、少女にナイフを向けていた男に向かって投げつけた。

「ぐっ」

 眉間にまともにビール瓶を食らった男が、その直後に飛んできたシェンの前蹴りで壁に叩きつけられた。

「ジジイもガキも、ケガしたくなけりゃ伏せてろ!」

 椅子を蹴倒して立ち上がったほかの男たちに向き直り、シェンは吠えるように叫んだ。


「‥‥ずいぶんとまた嬉しそうだな」

 勝手口にもたれて成り行きを見守っていたデュオロンは、すぐに聞こえてきた男たちの悲鳴を聞いてかすかに嘆息し、そのまま姿を消した。



 翌日、店はまたいつものように営業を始めた。

「ジジイだってもう老い先長くねェんだから、いさぎよく店をたたんで田舎に引っ込むか、さもなきゃおめえが早いトコ婿でも取って跡を継ぐなりすりゃあいいんだよ。ガキと老いぼれだけでやってから、ゆうべみてェなコソ泥どもに目ェつけられんだよ。‥‥おいコラ、聞いてんのか、てめえ?」

 上海蟹を肴に真っ昼間から紹興酒を飲みながら、シェンは少女を相手に管を巻いている。
 しかし、いつもならシェンを見て怯えるはずの少女が、きょうはにこにこしていた。グラスが空になると、何もいわずにシェンの席までやってきて、勝手に紹興酒をそそぐのである。

「バーカ、10年早いんだよ。酌なんざしてるヒマがあったら、ガキはおとなしく勉強してやがれ」

 シェンが笑み混じりに毒づくと、少女は大きくうなずき、シェンと並ぶようにカウンターに座ると、スケッチブックを開いて落書きを始めた。

「へっ‥‥」

 少女がクレヨンで書くつたない字を横目に一瞥し、シェンはカウンターの向こうの老人を見やった。

「‥‥来年からなんで」

 いつもほとんど何もしゃべらない老人が、低い声で呟いた。来年から学校に行くという意味なのだろう。

「今の世の中、アタマのいいヤツが勝つっていうからな。オンボロ食堂とはいえ、末は女社長だ。せいぜいがんばってもらやぁいい」

 シェンは唇を吊り上げ、コップの酒を一気にあおった。
 シェンのそのセリフは、自分の腕一本で世間を渡っていこうとする我が身をかえりみて自嘲しているようにも、あるいは自賛しているようにも思えた。



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