KOF’XII 八神 庵 ストーリー




 解き放たれし本能――Iori Yagami



 そも八神流なるは、その源流を草薙流に求めることができる。
 八尺瓊の一族が草薙への嫉妬に駆られ、敵であるはずのオロチと結んで八神を名乗り始めた時から、その炎はいろどりを変え、両家の進む道はふたつに分かたれてしまった。
 爾来660年、草薙、八神の確執は現代になっても続いている。

 もっとも、今の継承者である草薙京と八神庵は――決してしめし合わせたわけでもないのに――ふたり揃って両家の因縁を鼻で笑い飛ばすような人間だった。
 だが、当人同士の対立という意味では、逆にこれまでの両家の対立以上に根深く、また、激しい。



 ことにおいて後悔せずというのは、八神庵にとって、生き方の基本ともいうべきものだった。善悪の彼岸を超え、人道や倫理観などとも無縁の、傲慢とさえいえるその信念が、八神庵という人間を今の位置に立たせている。もちろん本人は否定するだろうが、それはある種の無意識的なナルシシズムにすら通じているのかもしれない。
 八神庵の中には八神庵というすでに完成された“形”があり、自分がその輪郭から少しでもぶれることを、彼はいっさい許さないのだろう。時間の流れは否応なく人を少しずつ変えていくものだが、八神庵はその絶対の法則すら拒否している。
 過去を振り返らず、未来を見ることもせず、不変である。
 八神庵という現象は、刹那に生きている。



 無論、こうした推察に何ら意味などない。
 他人の心の中を読むことができない以上、八神庵自身の考えと照らし合わせてそれが正しいかどうかを確認することなど不可能だし、庵がみずから胸中を吐露することもまたありえないからである。
 がしかし、八神庵がさして長くもない自分の人生を振り返った時、もしおのれの過去に何か後悔すべきことを見つけるとしたら、それはおそらく、あの日あの場所で、草薙京との決着をつけそこねたというただ一点のみに違いない。
 草薙、八神、そして神楽――“神器”たる3人が集い、覚醒したオロチをふたたび封印したあの日。
 庵がいっさいのしがらみから解放されて京との決着をつけるチャンスがあったとしたら、あの激しい炎の中をおいてほかにはなかった。
 あそこで、みずからの手で京を葬ることができなかったことを、庵は今も後悔し続けているのかもしれない。
 そして、その後悔が死ぬまで続かないとはかぎらないのである。



 海を見ていた。
 暗く澱んだ夜の海を、見るともなく眺めていた。
 霧笛にまぎれていったんは遠ざかっていったはずのエンジン音が、ほどなくして戻ってきた時、庵はポケットに両手を突っ込んだまま、ゆっくりと振り返った。

「――ナニたそがれてんだよ?」

 バイクにまたがった草薙京が、ヘルメットをかかえて唇を吊り上げていた。

「‥‥貴様のほうから出向いてくるとは珍しいな、京。俺に殺される気になったか?」

「うるせえよ。いい気分で流してたら、ヘンにカッコつけてるてめえを見かけちまったんでな。――そのままシカトしちまおうかとも思ったんだが、それじゃてめえが可哀相だろ?」

 ヘルメットをミラーに引っかけ、京はバイクを降りた。ごく自然な動きだが、そこにたゆみはない。もし庵が不意に仕掛けたとしても、京は難なくそれをしのいでのけるだろう。もちろん、誰よりも納得のいく戦いを臨んでいる庵が、性急に不意討ちなど仕掛けることなどありえないが。

「オトモダチのいねえてめえにかまってやれんのは俺くらいのもんだし、幸か不幸か大会も近いんでな。――ま、ウォーミングアップにはちょうどいいんじゃねえの?」

「相変わらず御託が多い」

「そうか?てめえもかなりなもんだと思うけどな」

「くだらん」

 長い前髪の奥から、庵は京をまっすぐに睨めつけた。



 もともとの両家の対立の原因が何だったのか、今となっては正確なところは判らない。
 草薙の強さに対する羨望と嫉妬が八尺瓊を狂わせた――と、一応はそう伝えられているものの、それは草薙家に口伝として伝わってきたものであり、宿敵となった八神家をことさらおとしめようとする作為がどこかにまぎれ込んでいないとはいいきれない。同じく“神器”の家系であった神楽――八咫家にも、口伝以上のものは残っていなかった。
 ただ、今の八神流の継承者である八神庵に関していえば、草薙流に対する敵意の源泉は非常に明快ではある。

 八神庵は、草薙京が憎いのである。

 憎いから殺す。
 単純明快である。
 だが、同時に不可解でもある。
 八神庵がそこまで草薙京を憎む理由が――自分たちの因縁と両家の対立とは無関係だと庵が断言している以上――これといって特に見つからないからである。
 理由はない。理由は特になく、庵は京が憎い。しいていうなら、気に入らないから――というのが理由に当たるだろう。
 人間、誰にでも反りの合わない相手というものはいるが、八神庵の場合、そうした対象に向けられる感情が苛烈にすぎた。
 そして、憎悪を向けられる相手がおとなしく庵に殺されるような人間ではなかったことが、ある意味ではふたりの不幸であった。



 ざっくりと裂けた頬に軽く触れ、指先がぬるい血で濡れたのを確かめた京は、目を細めて不敵に笑った。

「炎が出なくなったってわりには元気いいじゃねーか。‥‥そいつが本来の八尺瓊流ってヤツか?」

「死ぬ時くらい口を閉じたらどうだ?嫌でもすぐにこの先を見せてやる」

 手についた京の血を振り払い、庵は悠然と歩を進めた。
 進む道を違えて以来、両家はことあるごとに衝突してきたが、それは一面としては、両家の力が拮抗していたことを意味している。いつの時代も草薙と八神の力はほぼ互角であり、一方が一方の命脈を断つまでにはいたらなかったことが、660年という長きにわたる因縁を作り上げてきた。
 しかし、この660年という時の流れが、今の草薙に八尺瓊を忘れさせた。八神がオロチの血を受け入れて八神となる以前――八尺瓊だった頃の拳を、今の草薙は知らないのである。
 現に、京が見知っている八神庵と、今宵の八神庵は、似ているようでどこか違う。炎が使えないということだけではない。むしろその程度のことなど些細なものと思えるほどに、八神の拳は鋭利さを増していた。

「ったく‥‥自分でもわけが判らねえぜ」

 京は自嘲して拳を握り締めた。

 炎を失ったという庵がどうなったのか、気になっていたのは事実だった。
 無論、京の心に庵に対する同情や憐憫などかけらもない。憎いという感情とは違うが、京にも庵に対する敵意は厳然としてある。自分には何の落ち度もないのに一方的に憎まれてきたことから生じた敵意だが、だからといって、いまさら消そうと思って消せるわけではない。
 ただ、否応なしに自分にとっての宿敵として存在し続けてきた庵が、炎を失うことでどう変わったのかを知りたかった。

 そして今、京は知った。
 たとえるなら――抜き身の刃の切れ味がさらに増したという、ただそれだけのことだった。
 八神庵は八神庵のまま、何ひとつ変わっていない。

 八神庵とは不変の現象である。
 おそらくおのれの死の瞬間も、仇敵をその手でしとめた瞬間ですらも。



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