KOF’XII 椎 拳崇 ストーリー




 小龍飛天――Sie Kensou



「‥‥たまの休日やちゅうのに、何が哀しゅうてひとり孤独にすごさにゃあかんねん?」

 ある日曜の昼下がり、人手の多い街に繰り出してきたシイ・ケンスウは、恨めしいほどに燦々と輝く太陽を見上げて呻いた。

「孤独や‥‥こないにぎょうさん人がおるっちゅうに、俺は孤独や。たとえようもない孤独の中におるんや‥‥」

 うんざりしたようにもらし、ケンスウは公園の木陰のベンチに腰を降ろした。
 いまだにときおり真夏に逆戻りする日もあったが、すでに9月もなかばをすぎ、吹く風にはそろそろ秋らしい涼やかさが混じり、日本の残暑を押し流しつつあった。きょうは特にすごしやすいせいか、街は買い物を楽しむ人々でにぎわっている。もちろんカップルの姿も多い。
 だが、そこに自分とアテナの姿がないのはなぜなのか――?
 ベンチでひと息ついていたケンスウは、しあわせそうなカップルの姿を知らず知らずのうちに目で追いかけている自分に気づき、ふたたび重苦しい溜息をもらした。



 ゆうべ、ケンスウはアテナをデートにさそい、見事に断られた。
 彼が絶望する理由は、さしあたってそれだけで充分だった。

 ケンスウたちの次の試合は、この日本でおこなわれることになっている。
 試合に向けて厳しいトレーニングが続く中、師匠が許してくれたたまの休日に、アテナといっしょに買い物にでも――と思っていたケンスウは、せっかくだから実家に顔を出すというアテナのひと言で失意のどん底に突き落とされた。

「‥‥そらまあそうやろな。ふだんは中国の山奥で修行ばっかやし、いざ大会が始まれば世界各地を転戦や。そうでなくてもアイドルとの二足のわらじ履いとったら、親御さんとゆっくりすごす時間もあれへん。それは俺もよう判っとる」

 まるでフルラウンドを戦い抜いたボクサーのように、ベンチに腰を降ろしてがっくりとうなだれたまま、ケンスウはぶつぶつ呟き続けている。あたりを行き交う人々が、不審なまなざしを向けていることにも気づいていない。

「アテナの気持ちはよ〜く判る、判っとる!けど‥‥何も今日でなくてもええやないか〜、アテナ〜」

 恨めしげに太陽を見上げるケンスウ。
 と、その時彼は気づいた。

「――うおっ!?」

 慌てて視線を戻し、ベンチから立ち上がる。

「あ‥‥アテナ!」

 公園のすぐ前の通りを歩いていくのは、確かにケンスウのチームメイト、麻宮アテナだった。
 だが、喜色満面でアテナのもとへ駆け寄ろうとしたケンスウは、彼女と並んで歩く背の高い若者の存在に気づいた瞬間、その動きを止めた。

「あ、あいつ‥‥草薙京やないか!?」

 アテナと楽しげに語らいながら歩く若者は、ケンスウたちの次の対戦相手である日本チームのリーダー、草薙京その人であった。

「なっ‥‥何でや、アテナ!? 実家の親御さんとこに顔出すから俺にはつき合えんちゅうてたのは、あれはウソやったんか!」

 繰り返すが、ゆうべケンスウは、アテナをデートにさそって見事に断られた。そのアテナが、ほかの男――それもKOFではまず一番の強敵といっていい草薙京と楽しげにショッピングをしている。
 それを目撃してしまっただけでも、ケンスウが軽く壊れる理由としては充分だった。
 その瞬間から、ケンスウは人目をいうものを気にしなくなった。

「ぐぬぬぬぬぬ‥‥!」

 知らず知らずのうちに、ケンスウはアテナたちのあとをこっそりつけ始めていた。もちろん、周囲の人間は彼のただならぬ表情を見て目を丸くしていたが、当の本人は周りからの奇異の視線にまったく気づいていなかった。



「ぬおっ‥‥!ち、近い!近すぎるやろ!どけ、邪魔や!あんまりアテナに近づくんやない! それ以上1ミリでも近づいたら、このシイ・ケンスウさまが許さへんで!」

 前方数メートルを行くアテナの後ろ姿を見つめ、ケンスウは怨念まみれの呟きを垂れ流し続けている。

「ああっ!あのふたり、今度はあないなオシャレな店に入りよった!」

 ふたりが高級食材をあつかうスーパーマーケットに入ったのを見たケンスウは、眉間に深いしわを刻んでぎりぎりと歯をきしらせた。

「何や、何を買う気なんや? はっ!? ま、まさか草薙京のヤツ、アテナに手料理をふるまってもらうつもりやないやろな!?」

 スーパーマーケットの大きなガラス窓にべたりと張りつき、店に入ったアテナたちの姿を捜しながら、ケンスウはほとんど唸るような声でひとり言を口にした。そこまで疑うのであれば、自分も中に入って声をかければいいものを、それができずにただ尾行するしかできずにいるのは、ケンスウが意外なところで小心者だからだろう。
 店内にいた客たちが、カエルのようにガラスに張りついているケンスウに気づき、ざわざわと騒ぎ始めていたが、いうまでもなくケンスウは自分の今の行動がいかに異様なものか自覚していない。
 恋は盲目とはよくいったものである。

「ユキちゃんという可愛い彼女がありながら、草薙京め‥‥!こうなったらユキちゃんにチクったる! ――ああっ!アカン、考えたらユキちゃんのケー番知らんわ、俺!」

「ちょっと」

「くっそぉ‥‥!俺がおとなしくしとればいい気になりやがって――店から出てきたらただじゃおかんで!」

「ちょっと、きみ」

「はァ!?いったい何なんや、さっきから!こっちは急がしいんや!ほっといてんか!」

 何度も肩を叩かれたケンスウは、噛みつかんばかりのいきおいで振り返ったが、その鼻先に突きつけられたものを見たとたん、それまでの怒気が一気にしぼむのを感じた。

「このあたりに不審者がいるとの通報を受けてね」

 気難しい顔をした警官は、警察手帳をしまってケンスウをじろりと睨んだ。

「‥‥で?きみはここで何をしているのかね?」

「え?あ、いや――何しとるっちゅうか‥‥」

 慌ててガラス窓から離れ、ケンスウは身だしなみをととのえた。が、そのくらいでこれまでの奇行がごまかせるはずもない。

「ただじゃおかないだの何だの、いろいろと物騒なことをいっていたようだけど‥‥詳しい話を聞かせてもらえるかな?」

「ああっ!? そ、それは誤解で――べ、別に俺は‥‥!」

「ちょっと交番まで来てもらおうか。うん、何もやましいところがなければすぐにすむから、ね」

「な、なな、なっ‥‥何でやね〜ん!!」



 アテナとともに大きなスーパーマーケットから出てきた草薙京は、かかえていた大きな紙袋を揺すり上げ、その中をちらりと覗き込んで苦笑した。

「悪かったな、結局ぜんぜん役に立てなくてよ」

「いえ、いいんです、別に草薙さんのせいじゃありませんし。‥‥というか、むしろわたしが優柔不断だっただけですから」

「けど、今からで間に合うのか?こういうモンて手間がかかるだろ?やっぱ服とか靴のほうがよかったんじゃねえ?」

「んー‥‥でも、考えてみると、そういうものって毎年プレゼントしてますから、たまには手作りのものもいいかなって‥‥」

「へえ、案外まめなんだな、あんたも」

「そういう草薙さんとユキさんのところはどうなんですか?」

「それはまあ‥‥別にいいじゃねえか」

 話を振られて急にしどろもどろになった京は、わざとらしい咳払いをして話題を切り替えた。

「――それにしても、俺たちとの勝負を前にして、呑気に肉まん作りとは余裕だな。あとで泣きを見ることになっても知らねえぜ?」

「お料理やお菓子作りだって、立派にコンセントレーションを高める手助けになるんですよ。――当日はそのことをちゃんと証明してさしあげますから」

「そりゃあ楽しみだ」

 駅に着くと、京は荷物をアテナに押しつけた。

「――そんじゃまあ、せいぜいうまくやれよ?」

「はい。今日はほんとうにご面倒をおかけしました。‥‥でも、だからといって次の試合では手を抜いたりしませんからね?」

「望むところだ」

 ぺこりとていねいに頭を下げるアテナに手を振りながら、京は改札を抜けて構内の人混みの中に消えていった。
 と、その時、アテナの携帯電話が控えめに鳴り出した。

「はい?‥‥ああ、お師匠さま、どうかしたんですか?」

『うむ。実はケンスウが、警察の厄介になっておるようでな』

「えっ?」

『挙動不審でしょっ引かれおった。もちろん、何かやらかしたというわけではないんじゃが、身元引受人が必要だという話でのう。‥‥で、悪いんじゃが、おまえがワシの代わりにあの不肖の弟子を引き取ってきてくれんか?』

 駅前の雑踏の中でしばらく電話越しにチンと会話をしていたアテナは、やがて大きな溜息とともに肩をすくめた。

「‥‥判りました。あした朝一番に行きます」

『あした?』

「ええ。理由はともかく、ひと晩くらいは反省してもらわないと」

『それもそうじゃのう』

「その代わり、きょうは実家に泊まってもいいですか?ちょっと今夜中にやっておきたいことがあるんです」

 それからふた言三言、チンと言葉を交わして携帯電話をしまったアテナは、大きく伸びをして歩き出した。

「ちょっと予定より早いけど、仕方ないかな。ちょうどいいから、あしたの朝食代わりに持っていってあげようっと」



 自分が麻宮アテナという少女にとってどれだけ特別な存在か、その幸運になかなか気づけずにいるケンスウが、ほかほかの肉まんとともにすべてが自分の勘違いだったと知るのは、この翌日――彼の誕生日の、3日前のことだった。



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