KOF’XII ロバート・ガルシア ストーリー




 最強の虎――Robert Garcia



「ロバートさまならただいまお出かけ中ですが」

「外出中?」

 最近採用されたばかりの秘書の言葉に、カーマン・コールはサングラスの下の瞳を細めた。

「――そんな予定は入っていなかったはずだが?」

 いぶかしげなカーマンの問いに、まだ若い秘書は笑顔で応じた。

「ロバートさまおひとりで、気分転換に屋上で葉巻を吸ってくると。10分後にはお戻りになられるそうですが」

 それを聞いたカーマンの肩からふっと力が抜けた。

「そうか」

 ネクタイをわずかにゆるめ、カーマンはきびすを返してエレベーターホールに向かった。



 排気ガスの臭いのするビル風に吹かれながら、ロバートはぼんやりと空を見上げている。
 ガルシア財閥が所有するこのビルは、灰色の摩天楼が無数に空へと延びるこの巨大なビジネス街の中でも、10本の指に入る高さを誇っている。北米大陸におけるガルシア家の“城”――ビジネスの中枢としての拠点に、ロバートは今、父アルバートの名代として滞在していた。

「ロバート」

 ヘリポートの真ん中に立ち尽くしていたロバートは、カーマンのその声に振り返った。

「何や、カーマンか」

「勝手に会長室から出歩くな」

 ロバートに対してここまで砕けた口調で話しかける人間は、会長のアルバートを除けば、グループ内ではカーマンしかいなかった。それが許されているのは、幼い頃からロバートのボディガードを務め、教育係的な役割も帯びていたカーマンが、ロバートにとって年の離れた兄のような、特別な存在だからなのかもしれない。
 スーツの内ポケットからタバコを取り出し、カーマンは嘆息した。

「今度のパーティーではスピーチの予定があったな。もう原稿は頭に入っているか?アメリカ政財界のお歴々を前に、無様な真似は許されんぞ?」

「ボディガードだけやのうて、ワイの秘書まで始めたんか、カーマン?」

「なまじの人間では、おまえが勝手なことをやらかすのを止められんからな。‥‥特に今度の秘書のミス・ジュールズは、あそこでああして飾っておくぶんにはいいが、どうやら上司の受けはよくないらしい」

「上司?ワイのことかいな?」

「それ以外に誰がいる?私としては、葉巻を吸わないはずのおまえが、そんな言い訳までして屋上に逃げてきた理由が聞きたいが」

「逃げてきたちゅーか‥‥あのコ、露骨やねん」

 ロバートの表情と口調から何かを察したらしく、カーマンはタバコの煙を空に吐き出し、にやりと笑った。

「‥‥察するに、ケンブリッジ出身の才媛ミス・ジュールズは、実は玉の輿を狙うしたたかな女だった、といったところか?」

「せや。気づくとこう‥‥ワイのほう見ててな、目からハートマークの光線出しとんのや。おまけに絶対に自分の口からは誘ったりせえへんのが悪知恵がはたらくっちゅーか‥‥アレやな、あのコはああして気のあるそぶりだけしとって、ワイのほうから食事に誘ってくれんのを待っとんのやで」

「おまえが女性にもてるのは判った。‥‥が、保安部としてはどうにもできない問題だな、それは」

 カーマンは他人ごとのように呟いた。

「それで仕事がおろそかになっているのならともかく、実務能力としては彼女は非常に優秀だ。業務中、さかんにおまえにウインクしてくるから解雇するなどと切り出したら、下手をすればセクハラだと騒がれて裁判沙汰になる」

「せやからワイも困ってんねや。なあ、どないかしてくれへんか、カーマン?」

「とりあえず、おまえがつねに毅然としていればややこしいことにはならんだろう。人事部には私のほうからそれとなくいっておくが」

「頼むで、ホンマ‥‥ワイはユリちゃんひとすじやねんから‥‥」

 ロバートは額に手を当て、もう一度空を振り仰いだ。



 翌朝、まだ街がまどろみの中にいる頃、ロバートはトレーニングウェアに身を包み、ロードワークに出た。

「――しかしキミもアレやな、相当な物好きなんやな」

「いえ、わたしも身体を動かすのは好きですから」

「せやけど、ワイのは美容とか健康法とかいうのとはちゃうねんで?」

「承知しております」

 自分でいうだけあってかなり走り慣れているらしく、ミス・ジュールズはロバートの斜め後ろを遅れることなくついてくる。
 フィットネスクラブで身体を鍛えているというミス・ジュールズが、ロバートが毎朝ロードワークをしているという話に食いついてきたのは、ある程度予想できていたことだった。さかんにモーションをかけてもまったく反応してこないロバートの態度に、いい加減焦れてきたのかもしれない。
 あしたの朝、日課のロードワークにごいっしょさせてほしいとミス・ジュールズが切り出してきた時、ロバートはあえて断らなかった。
 ロバートなりに思うところがあったからである。

 束ねた長い黒髪をなびかせ、ロバートはまだ明け切らぬ街を軽快に駆け抜けていく。まだスタートしてから5キロも走っていない。
 だが、ミス・ジュールズにとっては、「まだ」ではなく「もう」5キロといった様子だった。
 少し苦しげに、ミス・ジュールズが尋ねた。

「‥‥いつもどのくらいこなしてらっしゃるんです?」

「正確な距離は判らんけど、だいたいいつもマンションから職場までやな」

「え!? 10キロ以上ありますけど――」

「そのくらいせな意味ないやろ?ワイのダチはこのくらいふつうに走っとるしなあ。ワイも負けてられへんわ」

 当たり前のように答えたロバートの呼吸は、まだ充分に落ち着いていた。
 そもそもロバートとミス・ジュールズとでは、身体を鍛える意味がまるで違う。ミス・ジュールズは美容や健康のために身体を動かしているのかもしれないが、ロバートはあくまで格闘家としての鍛錬を目的としている。
 いわゆる天才肌で、何でもそつなくこなすロバートだったが、空手に対する姿勢は思いのほか生真面目だった。それは、“無敵の龍”リョウ・サカザキという最大のライバルがいるからかもしれない。

「キツいんやったら、どこぞでタクシー拾って先に会社行っとってもええで」

 鼻歌を歌いたくなる気分を必死に抑え、ロバートは少しペースを上げた。ロバートとしては、これでミス・ジュールズがうんざりさせられて、自分と個人的につき合うことをあきらめてくれればいいと思っている。というより、そのためにロードワークに同行することをOKしたのである。

「ユリちゃんやったら、このくらいで音ェあげたりせえへんけどなあ」

 思わず日本語でそう呟いた直後、ロバートはいきなり立ち止まった。
 その目の前に、黒塗りの大きなバンがすべり込んでくる。

「!」

 バンのドアがスライドして、中から銃を手にした黒ずくめの男たちが飛び出してくるのを見た瞬間、ロバートは背後のミス・ジュールズに叫んだ。

「そこに伏せとけ!怪我するで!」

「きゃあぁ!?」

 美人秘書の息も絶え絶えな奇妙な悲鳴と、威嚇のための発砲音が、朝霧の立つ路上で交錯する。
 ロバートは銃を持った相手の懐へと恐れることなく踏み込み、その首筋へと鞭のような蹴りを叩き込んだ。黒いマスクの下でくぐもった呻きをもらした男が、そのまま崩れ落ちる。

「――どこの誰かは知らんけどなあ、このロバート・ガルシアさまをナメとったらケガじゃすまへんで!」

 足に伝わった心地よい衝撃に、ロバートは嬉々として吠えた。



 医師たちと入れ違いに病室に入ってきたカーマンが、ベッドに腰掛けたロバートに着替えを差し出した。

「運がいいな、ロバート。銃で武装したテロリストに襲われて、受けた傷は肩口と右足に文字通りのかすり傷だけか」

「運やない、腕がええんや」

 包帯の巻かれた肩の具合を確かめるように、大きくゆっくりと右腕を回してから、ロバートはイタリア製のシャツに袖を通した。

「いずれにせよ、会長代理に路上で大立ち回りをされては保安部の面目が丸潰れだ。私もアルバートさまからお叱りを受けたぞ」

「仕方ないやろ、もしあのままワイが誘拐されとったら、もっとドえらい騒ぎになっとったで?」

「だろうな」

 窓際に立ったカーマンは、カーテンを細く開けて外の様子を窺った。
 ガルシア財閥の御曹司が誘拐されかかったというニュースは、すでにマスコミを通じて世界中に発信されていたが、病院の正面玄関前には、直接本人からのコメントを取ろうと、多数の取材陣が詰めかけている。
 仕事熱心なマスコミを冷ややかに見下ろし、カーマンは言った。

「‥‥まだ調査中だが、テロリストの目的は純粋に身代金で、特に政治絡みの話ではないらしい。おまえを誘拐すれば、何億ドルでも身代金を搾り取れると思っていたのだろうが、“最強の虎”というおまえのニックネームを甘く見ていたようだな。返り討ちに遭って全員警察病院送りとは‥‥」

「ところでカーマン、ミス・ジュールズはどないしたんや?」

 トレーナー姿から隙のないスーツ姿に着替えたロバートは、声のトーンを少し落としてカーマンに尋ねた。

「今回の一件で、唯一おまえにとっての朗報かもしれんな。――ついさっき、彼女が人事部に異動願を提出してきたよ。おまえ付きの秘書だといつまたこんなトラブルに巻き込まれるか判らないから、とにかく別の役員付きにしてくれということらしい」

「そらまあ‥‥」

 しばし呆気に取られていたロバートは、やがて声を立てて笑い始めた。

「ま、ええわ、結果オーライや」

「そうして呑気に笑っていられるなら、さっそく社に戻って仕事に戻ってもらおうか。屋上にヘリを回してもらう手はずになっている」

「おっ、手際がええな、カーマン!ホンマ秘書みたいやんけ」

「後任の秘書が来るまでだ。‥‥おまえの面倒を見るのは本当に疲れる」

 仏頂面で答えると、カーマンはスーツの内ポケットから取り出したスピーチの原稿をロバートに押しつけた。



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