KOF'XV EXTRA STORY イスラ




 - イスラ EX -

イスラは物心ついた時から、その児童養護施設の門の内側で生活をしていた。
 孤児、捨て子、様々な事情はあるものの、この施設に入っている子供達には外での居場所が無い。施設の門の前に捨てられていたという彼女もまたその一員だ。しかし、まだ幼い子供ではあったが、イスラはなぜ自分が捨てられたのか何となくその理由を察知していた。
 イスラには他の子供とは違う“何か”があった。
 目の前にある物を動かしたいとイメージすれば、そのイメージ通りに物が動くし、小さなものであれば宙に浮かせることだってできるし、念じるだけで触れずに壊せる。目に見えないその“何か”はいつも彼女の周りに潜んで、イスラの意思を汲み取ってくれるのだ。寝つきの悪い夜は頭をなでてくれたし、転びそうになれば身体を支えてくれる。
 自身だけ触れられるその見えない“何か”を、イスラは“アマンダ”と名付けた。
 だが、成長するにつれてその“何か”を持っている自分だけがおかしくて、持っていない周囲が普通なのだと彼女は理解した。そして、それが原因で両親が自分を捨てたのだと気付いてしまうほどには、彼女は賢しかった。
 誰に何を言われるまでもなく、イスラは“アマンダ”を秘密にすることを選んだ。イスラの見えない友達は幼い子供故の空想癖として周囲の記憶の中で風化していき、イスラが七歳になる頃には誰もが忘れ去った。

 「お前達よりもっと不幸な子供は世の中にごまんと居るんだ」
 「ここで過ごせる分、ありがたいと思いなさい」
 朝礼で集まった子供達に対し、大人達はいつも同じ言葉を吐き捨てる。
 灰色の塀で取り囲まれたこの施設では、大人の言うことに従う子供はいい子で、言うことをきかない子供は悪い子だ。大人の期待通りに育った子供が優秀で、そうでない子供は劣等生の烙印を押される。
 優秀な子供達は大人達が紹介する働き口に就職できるが、そうでない子供は一定の年齢を迎えると門の外に無一文で放り出される――大人達が語った言葉がどこまで真実かは分からないが、その脅し文句を聞くたびに子供達は少しでも優秀ないい子になるために決意を改めた。
 子供は大人が決めた時間割に沿って授業を受け、体を動かし、食事をして寝るという淡々とした日々を送るほかなかった。共用の談話室に置かれていたテレビで施設の偉い大人のメッセージは聞けてもその画面に娯楽映画やアニメが映ることは決して無かったし、塀の外から弾みで飛び込んできたボール一つすら大人は子供達から没収した。娯楽は人を怠惰にする毒だ、というのが大人の口癖だった。
 そんな生活の中、十二歳の夏、イスラは自分の“趣味”を見つけた。
 きっかけは年下の少年に犬の絵を描いてやったことだった。写真を思い返しながら描いた稚拙な犬の絵を見て大喜びする少年に気を良くして、次は猫、魚、鳥と色んなものを描いてみせた。動物から花、部屋の小物、みんなの似顔絵ー気づけばイスラは絵を描くことが好きになっていた。
 彼女は大人の目を盗み、余った紙の裏、くすねたシーツの上、棚の裏の壁面と、色んな場所に色んな絵を描き続けた。時には“アマンダ”の力をこっそりと借りることもあった。
 しかし、ある日、施設の職員の一人がイスラの絵に気づいた。日の出前にも関わらず子供達を叩き起こし、引き出しの中、ベッドの裏までひっくり返して彼女の描いた全ての絵を探し出した。イスラがどれだけ「やめて」と叫んでも、職員達は聞く耳を持たず、子供達はみな青ざめた顔で自分の持っていた絵を次々と大人に言われるがまま火にくべていった。
 「こんなもの、お前達には必要ないものだ」
 庭に焚かれた炎の前でその職員は冷たい言葉を浴びせてきた。
 「お前達に必要なのは趣味でも娯楽でもなく勉強。常に成績優秀で大人を困らせない良い子であることだ。そうだろう? ええ? 返事は?」
 「...」
 イスラが怯えで身を強張らせようとも、職員の男は関係ないと言わんばかりに手に持った鞭を威圧的に鳴らす。
 「黙ってれば許されるとでも思ってるのか? 恵まれないお前をここまで育ててやったのは誰だ!」
 黙り込むイスラを睨み下ろしながら、彼は鞭のグリップを握り締めてその腕を振り上げた。
 振り下ろされた鞭が眼前に迫ったその刹那、今まで抑え、我慢し、溜め込んできた感情がイスラの胸の奥から沸き上がった。それは普通の子供ではないから自分を捨てた両親、子供をいいように従えようとする横暴な大人達、彼らの自分に対する理不尽な振る舞いへの激しい憎悪だった。
 「...ざっけンな...」
 イスラが奥歯を噛みしめたと同時に、“アマンダ”が空中で鞭の先端を掴む。見えない何かに鞭を引っ張られた職員はそのまま姿勢を崩して転倒し、イスラの姿を驚愕の表情で見上げた。
 彼女の感情に呼応するかのように、今まで見えなかった“アマンダ”の姿がゆっくりと形どられていく。鮮やかな紫色に縁どられた“手”が宙に浮かんでいる姿をその場に居る誰もが見つめていた。
 「な、何だそれは...!?」
 震える声を絞り出しながら、職員の男は“アマンダ”を指差す。彼のものだけではない、遠巻きに見ていた他の大人達、そして同じ部屋で過ごしたはずの子供達ですら奇異の視線でイスラと“アマンダ”を貫いている。だが、そんな事など気にならないほどイスラは怒っていた。
 「カワイソウだとか、フツーだとか、イラナイとか、テメーらの都合だけで勝手に決めやがって...アタシらのことを何だと思ってンだ!」
 イスラが一歩踏み出せば、彼は尻を引きずって逃げようとする。そんな男の脇をすばやくアマンダが掴み上げ、宙に吊し上げた。灰色の塀を背に、空中でみっともなく足をバタバタとさせるその姿をギロリと睨み上げ、イスラはゆっくりと腰を下ろし、脚に力を込めた。
 「テメーらが言う“いいオトナ”になるくらいなら...」
 力強く地面を蹴り飛ばし、イスラはその足を男の腹めがけて突き出した。
 「アタシは一生コドモでいいッ!」
 男のみぞおちに深く踵が食い込む。その勢いを利用し、イスラは男の身体を駆け上がった。空中に高く飛び出したイスラは灰色の塀の向こう側の景色を始めて目にした。
 山の向こうから射す朝日が空に淡いピンクのグラデーションを描き、色とりどり鮮やかな屋根がその光を受けてキラキラと輝いている。どこまでも果てしなく広がる海、極彩色のその世界にイスラは心を奪われた。
 職員の男が投げ捨てられる音が背後から聞こえたかと思えば、イスラの前に飛んできた“アマンダ”がその街並みを指差す。一緒に行こうー声は無くとも、友人がそう語り掛けてくれていることは手に取るように分かった。イスラは“アマンダ”へ微笑みかけ、小さく頷いた。
 「うん、行こう...アマンダ!」
 その朝、イスラは一対の“手”と共に、灰色の塀に覆われたその児童養護施設から飛び出した。

 十二歳の夏、施設を飛び出したあの日からイスラはアマンダと共に平和に暮らしている。
 身寄りも頼れる相手も居なかったが、案外どうにかなるもので、今は市場や料理屋でバイトをしつつ稼いだ金で画材を買っては街に作品を描いている。
 街で絵を描いているイスラのことは瞬く間に子供の間で噂になり、物珍しそうに見に来た同世代の少年少女達ともすっかり打ち解けた。友人の一人がSNSでの広報を提案してくれてからはアーティストとしての活動も軌道に乗り始め、今では画材を買う金にもそこまで困らない。
 一度、一緒に暮らしていた子供達が気になってあの児童養護施設の灰色の塀に近付いたことがある。施設の大人達はイスラを連れ戻そうとはしなかったが、子供達に美味しいお菓子をと言って差し出した金を横柄に掴み取ってそれきり音沙汰がない。恐らく、塀の中の子供達には届かなかっただろう。
 施設から出たイスラのことを周囲の大人は不良少女だと後ろ指をさすが、気のいい同年代の友人達はイスラの趣味も、アマンダのことも馬鹿にはせず、むしろそれが彼女の長所であり個性であると捉えてくれる。彼らにとってイスラの絵は自由の象徴で、彼女の絵の下が子供だけの居心地のいい溜まり場なのだ。
 「イスラとアマンダ、こんなにイケてんだからさ、他の国でも活動してみたら?」
 描き上げたばかりのグラフィティの下で語らう友人たちの言葉に、イスラは照れくさそうに笑う。
 「まあ、確かに海外で仕事はしてみてーけどさぁ」
 「何かのイベントに参加してコネ作るとか、知名度上げてオファー待ちとか?」
 「そーいえば、イスラとアマンダってケンカも強いじゃん? こういうのに出てみたら?」
 「ん? K、O、F...?」
 友人が突き出したスマートフォンに映っているのは格闘大会の中継映像だった。イスラは怪訝そうに顔をしかめてそれを覗き込みーそこに映った少年の姿に目を見張った。
 ヘッドフォンを耳に掛け、洗練された中国拳法で相手を圧倒するその少年。彼の腕に時折重なる巨大なその“手”には見覚えがある。色も大きさも違うが、これはアマンダと同じものだとイスラは直感した。
 「こいつのコレ、イスラとアマンダみたいじゃん」
 「アマンダとは別でしょ? アマンダより大きいじゃない」
 「うっわ、すご...地面抉れてない? 破壊力やっべー」
 「シュンエイって子らしいぜ。俺達と同年代なのにスゲーな」
 楽しそうに眺め、口々に感想を述べる友人達の声がイスラの耳の中で反響する。
 画面の向こう側で相手を倒すその少年の姿。駆け寄る友人の男の子、少年を気遣う様子の優しそうな老人。年上の大人達に肩を叩かれ、髪をワシワシと掻きまわされ、迷惑そうなリアクションをしつつも満更でもない表情で顔を上げるその少年は幸福そうに見えた。
 ――恵まれてンじゃん、アタシと違って。
 一瞬でも脳裏によぎったその感想すら気に入らず、イスラはわざと大きな音を立てて友人達から離れた。
 「...何がすげーンだよ、そんなヤツ。派手なだけだろ。アタシとアマンダの方が強ェし」
 友人達は一瞬顔を見合わせ、「だよな!」と明るく笑う。そして彼らはいつもの調子で顔を突き合わせ、親や学校での愚痴や文句を語り始めた。
 まだまっさらな壁へと向かい合いながら、イスラは帽子のつばをグッと下げる。ガスマスクで覆った口元が固く強張っていることに誰も気づきはしなかった。
 「...いつかぜってー、ブッ飛ばす」  



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